猿野が頭を打った。



†† 混乱 ††



ある日の昼休み。ゴリラの真似だか何かして、一人で勝手に転んで、都合よくあった壁に頭突きしてしまった。

「バカ猿・・・。」

呆れて物も言えない。と溜め息をついて、死んだゴキブリのように廊下に転がる猿野の元へ。(煩いので離れていた)
散々からかわれて(からかって)ムカついていたので、
土足(正式に言えば上履きだが、便所にも行ってるから汚さでは同じようなもの)で体を揺する。

「・・・おい。いつまで寝たふりしてんだ。とりあえずウザいからやめとけ。」
猿野は自他共に認める石頭。心配なんてする訳がない。

軽く揺らすぐらいではやめなかったので強めに背中を踏んでみた。(上履きで)

「ぐぇっ」

カエルの潰れたような妙な声をあげて、ようやく猿野が立ち上がる。


ひどくゆっくりと。


ゆらりと立ち上がって、ぼーっとこちらを見てくる。

「いぬ、かい・・・」

確かめるように名前を呼ばれて、さすがに打ち所が悪かったかとちょっと焦りだす。

「・・・とりあえず、俺は悪くないぞ。」

猿野の背中に付いた大きな足跡も、起こすためだし。と心の中で正当化しておく。

「・・・」

非難するでもなくただぼーーっとこちらを見て来る猿野があまりに気味悪かったので、チッと舌打ちして、
「・・・どうせ大したことねぇんだからキモいまねすんな。」
と、わざと先程打ったと思われる辺りに、ボスッと手を置いた。

『――ぃっってぇなこのクソ犬!!頭がイカれておバカちゃんになってバカだ大学とか入れちゃったらどーしてくれんだよ!!』

とか何とかまたわめきだすのかと思いきや。

「〜〜〜〜〜〜っっ!!」

突然ビックリした顔をして思いっきり手を振り払ってもの凄いスピードで走り去ってしまった。

・・・・・・そんなに痛かったか?
ぼーっと自分の手を眺めて、ちょっと悪いことをした気になったが、
いやいや、アイツは殺しても死なないようなやつだと、あまり気にしない事にした。







――・・・そしてその日猿野は部活を休んだ。







一応監督に確かめてみると、5・6校時は受けて、部活は頭が痛いからと言って帰ったらしい。

・・・・・・俺は悪くない。バカ猿が勝手に転んだだけだ。



『――俺様は何でもできるんだ!無知で不器用なお犬様と違ってな!!』

『とりあえず、器用で頭の切れるお猿様はゴリラの真似でもしといて下さい。』

『なぁんで俺がンなことしなきゃなんねぇんだよ!!』

『ゴリラといえば霊長類の中で一番強そうだから。』

『はぁ!?俺は霊長類じゃねぇー!!』

『・・・じゃあやっぱり何でもできるってのは嘘だな。』

『できるわぁ!!し・な・い・だ・け!!』

『・・・はぁ。無能は皆そう言う。』

『うぐっ・・・・・・って、いやいや!さすがにゴリラしなくて無能にはならんだろ!!』

『ぷっ・・・必死に言い訳してるあたりやっぱりむの――』

『うるせーーーーっ!!おぅおぅ、そこまで言うんならやってやろうじゃねぇか!
これで俺がお前のこと笑わせられたら、お前はお犬様らしく三弁回ってワンやれよ!!』

『とりあえず、お前の気持ち悪いゴリラの真似見て、気分悪くなりはしても笑いはしねぇから安心しろ。』

『ムッカつく!!絶対ほえ面かかせてやる!!』



――・・・俺は悪くない。転ぶやつが悪いんだ。
・・・・・・多分。

・・・少し不安になってきた。5%くらいは俺のせいかも。いや、10%くらいは。
このままほって置いて、明日学校を休まれたら目覚めが悪い。(というか後で散々文句言われそうなので)
とりあえず、今日の内に見舞いにでも行っておくことにする。
家は知らないけど・・・子津か兎丸にでも聞けば分かるだろう。


* * * *


・・・結局子津に場所を聞いた。
兎丸に聞くと、
『えぇ〜〜!?犬飼くんが兄ちゃんのお見舞いぃ!?うわっあっりえなーい!!明日雪だよ絶対!!』
とか騒ぎそうなのでやめておいた。
子津は、
『犬飼くんもやっぱりチームメイトっすもん。心配っすよね。』
と、嬉しそうに笑って言った。
――根本的に何かいろいろ間違っているが、いちいち訂正するのも面倒なので適当に合わせておいた。(何も言わなかったとも言う)

渡されたノートの切れ端をチラチラと見て、見たこともない住宅街を進みながら着いた先には、
どこにでもありそうな新しそうで小奇麗なマンションがあった。
ガラスの両開きドアを開けて入ると、やっぱり当たり前のようにオートロックの自動ドアがあった。

「・・・。」

これはあれだ。
部屋番号押して呼び出しとか押してはーいとか出てきて用件言ってあっどうぞーとかなってがちゃんってなってうぃーんってなる要するにあれだ。
いや。普通の友達とかならそれで良いとして、今の俺達にその一連の流れは出来得るのか。・・・ちょっと怪しい。
部屋番号押して呼び出し押してはーいまでは良いとして、用件言ってあっどうぞーとかなってがちゃんってなってうぃーんというとこが重要だ。
俺なら呼び出し押した後きっと何も言えないだろう。割と自分のことは分かってるのだ。何と言っても趣味は自分探し。侮ってもらっては困る。
いやいや。そんなこと悶々と考えている場合ではない。誰に侮られてるかも分かってない。
なかなか奥が深い自分探し。意外な所で自分を見失ってしまった。
いやいや。待て待て。自分探しの奥の深さに感心してる場合でもない。入っていきなりの難関にちょっとしたパニックに陥ってしまった。
――落ち付け俺。

・・・ふぅ。

そうだ。落ち付いてよく考えてみれば向こうにはカメラがあるんだ。
俺が黙っていても勝手に見て俺だと判断して開けてくれるはず。

・・・はず。

いや待て。俺とアイツはそんな仲良くない。俺だったら家の前にアイツが立ってたら見なかった事にする。
はてさてどうしたものか。やっぱり帰ろうか。いやでも・・・。

うろうろうろうろ。

――・・・はぁ。

小さく溜め息をつく。
そうだたかが見舞いだ。良いことだし。あんまりうろうろしてると管理人に不審者扱いされ兼ねない。
手元の部屋番号と、郵便ポストの番号が同じか確認して、数秒逡巡した後、意を決してボタンを押した。

ぴんぽーん♪

無駄に軽快な音が流れて、暫し沈黙。
そして。


『は〜い♪』


機械を通してでもハッキリ分かる猿野の声。

・・・随分と元気じゃねぇか。

呆れた。こんなに元気なら部活来いよ・・・。

なんだか気の抜けてしまった俺は、先程のパニックも忘れてごくあっさり、思わず出た吐息に乗せて、

「・・・俺だけど・・・。」

と言った。
何がどう『けど』なのか分からないけど、どう言えば良いのか思いつかなかったので言葉を濁した。

『へ?・・・わっ犬飼!?なんで――』

と驚いた声が聞こえて、そのすぐ後に受話器をかける音。
なんだなんだと思っていたらウイーンカチャンと音がして、もしやと思って自動ドアの前に立ってみると、
先程あんなに俺をパニックに陥らせた透明な壁はいともあっさり『はいどーぞ』と両側に開いていった。

どういうことだ。

俺の中で友人がすると思っていた一連の流れが何気なく現実になっている。
『あっどうぞー』のところが『なんで』になっただけで。
なんとなく未知の領域といった感じがして入るのがためらわれたが、まぁいいか。乗りかかった舟だし。と思い直し、開きっぱなしのドアをくぐった。

こつこつと歩いて行くとそこにエレベーターがある。
エレベーターといえばあれだ。
ぽちっと押したらうぃーんと降りてきてよいしょと乗ってぽちっと押したらうぃーんと上がっていくあれだ。
この流れなら問題ない。
ふふんと内心笑って上行きのボタンを押して待っていると、・・・3・・・2・・・1ぽーんと、降りてきた。
よいしょと乗りこみ、ぼーっと上がりだすその時を待つ。

おかしい。いつまでたっても登らない。
何でだ・・・
ぽちっと押したらうぃーんと降りてきてよいしょと乗ってうぃーんと上がっていくのではなかったか。
いや。ここは一つ落ち付いて考えよう。先程の二の舞にはならない。
ぽちっと押したらうぃーんと降りてきてよいしょと乗ってまでは完璧だ。否の打ち所もない。
思い出せ・・・。
・・・っ!よくよく考えてみれば目の前に並ぶボタンがあるではないか。
これを押さなければ上がる訳がない。というか自動で動き続けてたら誰も乗れないし降りれない。
そうだそうだ。ぽちっと押したらうぃーんと降りてきてよいしょと乗ってぽちっと押したらうぃーんと上がっていくんだった。
『ぽちっと押したら』の行程をとばしていた。
まったく・・・エレベーターとはなんて不親切な作りなんだ。
『行きたい階のボタンを押して下されば、エレベーターというこの鉄の箱がワイヤーによって引っ張られあなたを目的地まで運びます。』
とかなんとか注意書きでもしておくべきだ。
初めて入った人には何が何だか分からないはずだ。
いや、俺はさすがに今までの人生で何度も乗った事があるが、ちょっとテンパってただけだ。
テンパってる人のためにも注意書きは必要なのである。

まったく・・・とまた思い、猿野の家の階のボタンを押す。
あとは放って置けば、エレベーターが目的地まで運んでくれる。
エレベーターは俺の『上がれ』の命令を待ち望んでいたかのように上に上がり出す。
今度こそ人間様の勝ちだ。

予想通り1・・・2・・・と上がっていく。

――が、しかし。

ぽ〜ん♪と3階で止まってしまった。
そして乗りこんでくる回覧板を持ったおばさん。
バチッと目が合ってしまって、どうしたものかと考えていたら、おばさんの方から、
「・・・こ、こんにちわ。」
とためらっているのがありありと分かる挨拶をされた。
きっとここに住んでいる人か他人か分からないけど、住人に挨拶しないで嫌な目で見られるより、他人に挨拶しとく方を選んだんだろう。
しかし、おばさんは2択の良い方を選んだかもしれないが、俺はどうすればいいんだ。
いや、挨拶はするべきか。これからエレベーターという狭い箱の中でちょっとでも2人で過ごさなければならないのだ。
ここで無視すれば雰囲気は最悪になり、あまりの気まずさに泣きたくなるかもしれない。

「こんちわ・・・。」

こちらも微妙な挨拶をすると、おばさんは『よかった・・・』みたいなちょっとほっとした顔をしてニコリと作り笑いを浮かべた。
やはり人間(日本人だけか)は建て前というか周りに変に気を配って生きてしまうような悲しい生き物なんだな。
意外な所で人間の本質みたいなものを改めて認識してしまった。・・・奥が深い自分探し。
――そして外界と2人を隔離する重たいエレベーターの扉が閉まってしまった。(ギャグではない)

おばさんは先程の俺のテンパりなど微塵も出さないで当たり前のようにボタンを押す。
なんだか負けた気分だ。まるで俺がバカみたいではないか。
いやでもこのおばさんはそれはもう毎日のようにこのエレベーターに乗ってるはずだ。
そんなおばさんと比べたら負けてしまうに決まってる。ハナから勝者は決まっていたのだ。
なんて不公平なんだ。今度はこのおばさんと靴の脱ぎ方の勝負でもしてみたい。これで公平だ。フェアだ。
・・・2回言う意味はない。

それにしてもなんだか悶々と考えてはいたがこの沈黙は痛い。
現実逃避にいろいろ考えていただけだったのだが、赤の他人とこんな狭い所に閉じ込められたら気まずいに決まってる。
誰だエレベーターなんか考えたやつは。どうせなら1人乗りにしろよ。
しかし、エレベーターを1人乗りにしてしまうと、デパートやテーマパークやホテルなんか恐ろしいことになってしまう。
テーマパークに遊びに来たのに、なんだかよく分からないエレベーターに長蛇の列ができてて、
結局なんのアトラクションにも乗れずに日が暮れる・・・なんてことになってしまう。
この気まずさは、そういった大多数の意見に押しつぶされてできてしまったのだ。
意外に奥が深いエレベーター。この気まずさは仕方のないこととして甘んじて受けなければならないのだ。

ぽ〜ん♪
――よし!

なんだかんだ訳の分からないことを考えて気を紛らわしてる内に、おばさんの目的の階に着いた。
さようならおばさん。もう会うことはないけれど。今度は公平な靴脱ぎ勝負でもしよう。
降りていくおばさんを見ながら内心で手を振る。
うぃーんと閉まった扉。
猿野の家の階まであと1階だ。
当たり前のようにすぐ着く。
――ここまで長かった・・・。(そう思うのは、頭の中でなんだかいろいろ考えてるからであって、実際はたいして時間は経ってないのだが。)
ふぅ、と溜め息をついて手元のメモを見る。
部屋番号を今一度確かめると、














* * * * *
ここまで。

犬飼の頭の中って意外に凄い色々行き交ってるんじゃないかという小説。混乱してるならなおさらね。
頭を打った猿野は、犬飼に恋する女の子になっているという設定でした。





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